【半月注意報】感情の意味づけ
【半月注意報】
本日は、上弦の半月です。
クリス岡崎語録を塾のメッセンジャーグループに流したら、塾生Aさんがいつになく反応して来ました。
【クリス岡崎】というワードが、塾生Aさんのツボにどハマりしたみたいで、色んな想いをメッセンジャーに書き込んでくれました!(笑)
詐欺とか?
正義感とか?
もしかしたら、
自分のお父さんに似てるとか??
その感情のスイッチは、何に刺激を受けたんでしょう?
過去にどんな意味づけがあったのか?
そこに上手くハマってしまったようです。
その先のAさんのメッセージを読むと、レビューサイトに色々と悪評が書いてあり、
「こんな人は許せない」
という感情になった様です。
その感情の元となったのは、過去にも自分がクリス岡崎の様に有名な人からいくつかの商材を購入して、全然稼げなかったという経験があったからだった様です。
過去の何らかの印象が意味づけとして関連づけられると、その後に似た様なことが起きると、
「同じ痛みを避けるために」
防御反応を起こします。
だいたいは、
逃げるか?
戦うか?
ですね。
人は、ほっといたら、ネガティヴ思考に落ちていきます。
それは、自然の本能的な働きなので、仕方のない事だし、批判するものでもないです。
生命を維持するための一番古い第一の脳は、本能的な部分で、危険から自分を守るために、常に最悪の事態を想定しながら、判断しています。
大昔は、
いつ喰われるかわからない。。。
現在はどうでしょうか?
■■
塾生Aさんは、
クリス岡崎の商材で嫌な思いをされた訳ではないようです。
では、なぜ、この様な反応を見せたのでしょうか?
ネット上で、他人の事を詐欺と言ってる人の言葉は、どうして信じることができるのでしょうか?
詐欺と言ってる人は、何故そのように発信しているのでしょうか?
ネット業界の仕組みのような物は、まだ理解していないですか?
評判が良くない商材をなぜいくつも購入したのでしょうか?
そして、その商材は、本当に稼げないものだったのでしょうか?
ちゃんと説明通りにやれば稼げるものもあったのではないですか?
詐欺だと言いふらしてる人の多くは、自分の事を棚に上げて、やる事を言われた通りにやってないのに、成果が出ない!詐欺だ!と言ってませんか?
なぜその人の言葉を信じることができて、
商材の提供者のことをそのように悪く思うのでしょうか?
まだ、情報弱者の癖が抜け切れてない様ですね。
発信者には、その人の意図するものが有ります。
一般的には、有名人になればなるほど、ネットで検索したら、詐欺ネタが多く出て来ます。
良い評価は、サクラの場合が多いと思いますので、私もレビューなどを参考にするときは、良いコメントは読み飛ばして悪い評価を読むことにしてます。
が、単なる悪口は読む気がしないのでスルーです。
悪い評価の中でも、 建設的な意見や部分的には良い評価をしている人の投稿は信じても良いと思っています。
あなたは、ネット社会の中で、何を基準に信じることにしていますか?
最近、別の人と話した話題に、一般人に届く情報は、操作されたものがほとんどだから、
「テレビで言ってた」なんていう情報は、誰かの利益のために流された情報であって、鵜呑みにできるものではない。
我々は、何を信じたら良いのだろうか?
という様な事を話しました。
テレビのニュースだってそうです。
どうでも良い様な内容を何日も流してて、その裏で大事な法案が通されたりとか、、、
これからは、情報過多の中、自分の信じるものをしっかりと芯に持って、望む未来に常に焦点を当てて、そこに到達するために、今目の前にある分岐点は、どっちを選択したら良いか?
そんな視点で判断してみてはどうでしょうか?
【事象は1つ、 解釈は無限大!】
目の前の嫌だと思う事も
視点を変えてフォーカスチェンジすると、
良い面が見えてくる。
嫌なものと、好ましいもの
どちらでも好きな方を選んで良いなら、あなたはどちらを選びますか?
話は変わりますが、
幼児教育でモンテッソーリ教育というものがあります。
子どもの人間としての自立を促す教育で、幼い頃から、
【自分で選択する】
という事を練習しています。
幼い頃は、大人が何でも手を出したり、決めたりしてしまいがちですが、モンテッソーリ教育で育った子は、
【自分で決めて、その事に責任を持つ】
という事を身につけていきます。
そんなモンテッソーリ教育で育った大人が、今の社会を大きく変えて来ました。
ネットで検索したら、有名な人がモンテッソーリ教育を受けて来たという共通点を持っている事に気付かされます。
長々と書いてしまいましたが、
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます!
感謝!感謝!元気!元気!人生最幸!
J2